東京大学アイドルマスター研究会

東京大学アイマス研究会のブログです。当ブログの記事は東大アイマス研ならびに他のいかなる団体の主張を代表するものではありません。

「プロデューサー」が分からない

 分からない。「プロデューサー」という概念が。

 アイドルマスターのファンの総称はプロデューサーである。アイドルマスターという作品が始まって以来、公式側が提示してきたこの不文律は脈々と受け継がれてきた。アイドルマスターのファンはこの言葉に多くの文脈を見出してきたが、ここで論じたいのは所謂ファン活動の類で使われているものではない。徹頭徹尾、自分が自分の好きなアイドルに対して、どのような振る舞い方をしたいかということである。

 無論、アイドルマスターのファンであるからといって自分自身を作中のプロデューサーに投影する必要など勿論ない。個々人でその在り方は様々存在するだろう。アイドルのプロデューサーとして同じ方向を見たい人、アイドルのファン目線で見ている人、ただの空気として見守るだけの人、周りを見渡しても様々なユーザーが存在する。それは頭で分かっていても、私自身アイドルに対してプロデューサーとして振る舞う覚悟を決めるべきか、それを放棄するか、どのように在るべきなのか決めかねている。ずっと。そして、おそらくこれからも。

 私がアイマスの中で一番好きなアイドルは赤城みりあである。みりあは天真爛漫を絵に描いたような女の子だが、その中に他人を思いやることができる思慮深さを兼ね備えている。その健気で聡明な姿は、私の心を捉えるに十分であった。しかし、彼女に対して何かしてあげたいという気はさらさらなく、寧ろ醜い人間である私なんて気にも留めないで羽ばたいてほしいとすら思っていた。私はプロデューサーでも何でもなく、ただ傍から見守っているファンでしかない。この認識が覆ったのは、意外にも他のアイドルの存在が関わっている。それは、佐藤心さんだ。

 佐藤心さんのことを好きになったのは、スターライトステージで初めての限定SSRが登場した時だった。彼女はモバマスでもデレステでもどのイラストを切り取っても同じ表情を見せないほど表情豊かだが、私は限定SSRの特訓後の凛とした姿を見て心を鷲掴みにされた。これは、私が赤城みりあに対して抱いている好きという感情とは全く意趣のものであった。どちらかと言えば、いや、どちらと決めるまでもなく、お付き合いしたいとかそういった類の好きである。

 そして、新たな感情が芽生えてくる。一緒の生活をしてみたい。佐藤心さんの同僚になりたい。佐藤心さんにからかわれたり心配されたり、時には本気で叱られたりしたい……。これは、今まで私がどのアイマスのアイドルに対しても向けてこなかった感情である。彼女のプロデューサーになりたいというのとはちょっと違うかもしれない。だが、作中のキャラクターと同じ時間を過ごしたいと考えている以上、ほぼ同義と言っても過言ではないだろう。

 しかし、ここで一気に後ろめたい気持ちに駆られる。私が一番好きなアイドルである赤城みりあを差し置いて、佐藤心さんの同僚になりたいとは何事であろうか。まだ、佐藤心さんの担当を兼任している赤城みりあのプロデューサーという立場なら分かる。だが、今の私は赤城みりあに対しては草葉の陰から見守るだけの生霊以外の何者にもなりたくなく、それでいて佐藤心さんの同僚としていたいというただ傲慢な人間である。

 この時になって、ようやく私は作中の赤城みりあのプロデューサーとプレイヤーである自分自身を同一視することを初めて試みた。しかし、自分が一人の立派な社会人として赤城みりあの前で振る舞えるビジョンが全く見えない。具体的な情景を言えば、アニメ版アイドルマスターシンデレラガールズ第7話でシンデレラプロジェクトのアイドルたちが武内Pに不信感を募らせるシーンを想起すればいいだろうか。シンデレラガールズでは唯一と言ってもいいくらいプロデューサーがアイドルたちに不満を募らせているシーンであるが、とかく仕事もできなければコミュニケーションもままならない私が赤城みりあに対して一人前のプロデューサーとして活躍できる自信など微塵もない。

 私が赤城みりあに対してプロデューサーとして振る舞えないのは、彼女のことを思うが故なのか、それとも単に情熱が欠けているのか、どちらかなのか全く見当も付かない。それでも、今まで私が作中で見てきた赤城みりあのプロデューサーは、彼女に対して相応の振る舞いをしていた。モバマスではサービス開始早くから赤城みりあの両親がプロデューサーに対して全幅の信頼を寄せている光景が描写されており、彼女自身もプロデューサーのことを尊敬している様子が随所から見て取れる。デレステのメモリアルコミュでは赤城みりあが仕事で居合わせた芸人に対して牽制を行うなど、仕事面でも本領を遺憾なく発揮している。U149のプロデューサーも彼なりに彼女のことを考えて、思いを受け止めようとしている様子はすぐに分かる。私が彼らのように振る舞える自信は、これっぽちもない。

 やはり、赤城みりあのプロデューサーとして彼女と同じ目線に立つことができない、いや、しようとしても叶わないのはどうしても精神に来る。シンデレラガールズのとあるアイドルが好きな知人が、U149のスピンオフ作品である第3芸能課だよを読んで、「自分の心が美しくないからこそ想像できていない彼女の素敵な一面がたくさんあるのかもしれない」と嘆いていたことが頭から離れない。私も同じような境遇に陥ったことは沢山ある。赤城みりあは純真無垢な女の子である。それと比べて、私は意地汚い人間だ。振り返れば、彼女の純真な気持ちを汲めたことの方が少ないように思う。U149で他人の悪意を善意に解釈しているような描写までなされた赤城みりあと私は関わらない方がいいのではないか。最早そのようにすら感じてしまう。

 どれもこれも、私が中途半端なのがいけないのかもしれない。アイドルマスターのスタッフはアイマスのファンのことを依然としてプロデューサーとして呼んでおり、坂上陽三総合プロデューサーは「アイマスで遊んだら次の日も頑張れる」コンテンツ作りを目指していると言っていた。アイマスに接していて楽しいことは勿論今でもあるが、最早義務感や心労の方が大きくて余力がある時に接するくらいの距離感でしかなくなった。全ブランドの作品に接する余裕はないし、たまに思い出したかのようにモバマスのイベントを触るくらいである。やはり温度差はどうしても感じてしまう。プロデューサーとして、一人のお客さんとしての賞味期限は、もう過ぎてしまったのかもしれない。

 それでも、赤城みりあのことは大好きだし、佐藤心さんを好きという気持ちはある。このフラストレーションをどうすればいいのか、答えはまだ見つかっていない。

オペラセリアのコミュにアイドルマスターらしさを感じたという話

【注意】この記事にはプラチナスターツアー〜Parade d'amour〜のネタバレが含まれています。未視聴の方はご注意ください。

 

 

こんにちは。桜しんと申します。今回はミリシタ「オペラセリア煌輝座」のコミュを読んで非常に感銘を受けたので、どのような点が良かったと感じたのかを言語化したいと思います。

 

コミュの振り返り

 

さて、まずはどのようなコミュだったのかをざっくりと振り返ってみましょう。

 

765プロに新曲がやってきました。コンセプトはミュージカル。プロデューサーは、ミュージカルには歌とお芝居が不可欠として志保・歌織さん・まつり・琴葉を起用します。その配役としては、志保がメインヒロインの男装令嬢、歌織さん・まつり・琴葉がヒロインに恋に落ちる青年の役です。

 

舞台に向けて練習を重ねていく折、志保は歌織さんからある質問を投げかけられます。

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「ミュージカルの登場人物はなぜ歌い始めるのか?」

志保はこの質問に対して明確な答えを出せず、この質問の答えを考えてくることが「宿題」ということになりました。

 

質問に対する答えが見出せないまま稽古が続く中、琴葉は志保に「一緒に帰ろう」と声をかけます。年上として、女性を想う男性役として、志保が何か思い悩んでいることを琴葉は察して気にかけているのです。

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 それに対して志保は素直に自分が「なぜミュージカルの登場人物が歌い出すのか」について悩んでいると打ち明けます。その問題に対して、琴葉はいっしょになって考え始め、その中で実は琴葉も演技から歌への持っていき方について戸惑っていたと答えます。そのときはどうしているかという志保からの質問に、「わからないからこそ、自分にできることを精一杯やる」と答え、「まずは役になりきること」と称して志保をボートに誘い、この章は終わります。

 

琴葉が志保と2人でボートに乗ったという話を聞き、まつりは志保と遊園地に行きたいと言い出します。志保は戸惑いながらもまつりの話に乗り、2人で遊園地デートに行くことになりました。志保はまつりに振り回されながらも、まつりのちょっとした心遣いに少しときめく姿も見せます。

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遊園地デートの帰り、まつりは志保が思い悩んでいることに対するヒントを与えます。「キラキラなミュージカルの住人さんたちが歌い出してしまうのはなぜか知りたいなら、ぴったりなお手本が劇場にいる」と。

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「答え」を見つける手がかりに気づいた志保は、さっそくレッスンの休みの日にある人物を呼び出します。

 

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いつも急に歌い出すのはどのような意図があってのことなのか、を聞き出そうとしているのです。意図、と言われた可奈は戸惑いながら「自然と出てくる」と答えます。プロデューサーは、何か楽しいことでもしようということでパンケーキを2人にご馳走すると言いました。その発言に喜んだ可奈は「今日はご馳走、パンケーキ〜♪プロデューサーさん、景気いい〜♪」と歌いだします。すかさず志保はこのときの気持ちを可奈に聞き出そうとしますが、可奈は無意識のうちに歌いだしていたようで、情報は得られませんでした。

 

なかなか答えが見つけられない志保は、「みんなが世話を焼いてくれるのは、自分が頼りないからだ」、「自分が小さい子みたいな扱いを受けているように思える」と言いだします。それに対して可奈は「それは志保ちゃんがカワイイからだ」と答え、自分の気持ちをなんとかわかってもらえるように、歌にして伝えます。

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ここで初めて可奈は「伝えたい」気持ちを歌にしているのだ、という気づきを志保とプロデューサーは得るのでした。

 

稽古も大詰め、全員の完璧な仕上がりにプロデューサーも納得。歌織さんの出した課題に、志保はこう答えます。

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「言葉では表現しきれない想いを伝えたいから、自分の声や体を使って精一杯表現しようとしている。」

 

こうして志保は悩みながらも、周りのサポートを受けながら自分なりの答えを見つけ出すことができ、舞台も大成功をおさめたのでした。

 

 

それぞれのアイドルの描かれ方

 

コミュを振り返ったところで、自分が良かったなと思う点を挙げていくのですが、まず挙がるのは各アイドルのキャラクター性です。

 

1.率先して志保を気にかけていた琴葉

イベントコミュ第2話で答えを出せずに悩んでいる志保に、琴葉はイベントコミュ第3話でさっそく声をかけました。琴葉には「委員長」というあだ名があるというのは有名な話ですが、やはりそれは周りをよく見て、人の様子をつねに気にかけ、さらにそこから困っていそうな人に話しかけて相談に乗る姿勢があるということに起因しているのだろうな、と考えています。その上、困っている人の立場になって考えることのできる子なんだな、ということや、周りを見ているからこそ人の良いところを見つけて褒めるのが上手なんだ、ということなどがこのコミュでわかるようになっているのが良いですね。

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2.さりげない気遣いができるまつり

イベントコミュ第4話では、まつりが志保を遊園地でエスコートする様子が描かれています。その中でまつりは、志保が目を輝かせていた猫のキーホルダーをプレゼントしたりと気遣いを光らせる描写が際立っていました。まつりは自分が「姫」であるからこそ、周りの子たちも同等に素敵な女の子であり、女の子は可愛く、輝いている方がいいと考えているのだろうなという信念を感じられます。

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また、姫が王子を演るっていうのも良いですよね。しかしながら、普段の立ち居振る舞いはちゃんと姫であり、姫と王子が両立しているような感覚を受けました。これが舞台になるとしっかり「王子」しているのだろうなと考えると、舞台のまつりを是非とも見たいものですね。

 

3.「先生」としての歌織さんの在り方

歌織さんは志保に「課題」を与えましたが、最終的に志保は志保なりの答えを見つけ出しました。ではその答えとはなんだったのか……?

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答えはない。これが素晴らしかったなと思います。先生とは何も答えのある問題の解き方を導くだけではないのだいうことを教えてくれるのです。自分なりに納得のできるよう精一杯考え、時に周りの人の助けを借り、自分自身で成長することができるようにすることが先生としての理想形なのだなと思います。

とある元男性教師アイドルが歌うソロ曲にはこんな歌詞があります。

「疑問には1(一人)を掛けるより

仲間という複数を掛けて、世界を広げよう」

 

「努力は公式じゃない…応えは一つじゃない

君しか出せない解答、それこそ…君からのLearning Message」

 これはアイドルマスターSideMに登場する硲道夫というアイドルが歌う「Learning Message」という曲です。「私と、友と、一緒に学んでいこう。そして君自身が導き出した答えを聞かせてほしい」という思いが込められた情熱的な一曲になっています。なぜここでこの話を持ってきたかというと、やはり先生としての信念は歌織さんにも通っているのだなということを言いたいからです。歌織さんもまた、「君しか出せない解答」を出してほしいと願っていたとわかり、たいへん心動かされました。(余談ですが、Learning Messageは本当に良い曲なので是非聴いてみてください。)

 

4.自分の可愛さをなかなか認められない志保

これはイベント第1話からエピローグまで通してずっと言われてきていることですが、志保は自分の可愛さを認められていないんですよね。

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最初の配役で自分がヒロインを演ると言われても他の人の方が適任ではないかと言ったり、イベントコミュ第5話で可奈にカワイイと言われても「そんなわけないでしょう」と言ったり、エピローグでファンレターに「かわいかった」と書かれていることに戸惑っていたり……。そういうところが可愛いと感じられる描写でした。普段はやはり弟の陸くんの世話をしていたりするので、世話をやかれる経験というものへの戸惑いはあるのでしょうね。

 

 

ストーリーの構成

 

 前章で各アイドルに焦点を当てたので、本章ではストーリー構成の妙について取り上げたいと思います。

 

1.可奈が出てくるまでの展開

 実を言うと私はイベントコミュ第4話の最後の展開で大声を出してしまいました。「志保の悩みを解決するのにぴったりな人がいる」と聞いた瞬間、聞き手側(この場面ではプロデューサーは登場しないのでこう表現しました)は間違いなく可奈を連想させるような作りになっていました。

というのも、イベントコミュに入る前、イベントふれあいにて美咲さんはこう呟いていたのです。

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しっかり可奈に言及していましたね。最初に可奈に言及して、後からストーリーの鍵を握る人物として登場させる展開が丁寧に作られていて、とても感心しました。

 

2.可奈、志保がそれぞれ悩み相談をしていたという点

突然可奈が出てきて志保の悩み相談に乗る展開、前に逆の展開があったなと思い出しました。それはEpisode Tiaraのコミュにまで遡ります。

二面性のある役の演じ方に悩む可奈に、志保が相談に乗ります。

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志保に相談に乗ってもらった可奈は、可奈なりの答えを見つけ、同じく演技について悩んでいた未来に話しかける、という展開になっていました。

ここで言いたいのは、オペラセリアの当該回は第5話、そしてスタエレのこの回も同じく第5話なのです。演技に悩んでいた可奈は志保と相談し、今度は歌に悩んでいた志保が可奈と相談する。同じ話数でこの対比をする構造が美しくて感動しました。

 

 

 

ここまで書いてきて、表題の「アイマスらしさ」についてろくに言及できていなかったのですが、ここからは私が一番感銘を受けた点について書きたいと思います。今回のコミュで一番感動したのが、まさに志保が導き出した「答え」の部分。この「答え」がとてもアイドルマスターらしかったと感じました。

 

 

 

「i」という楽曲の存在

みなさんは i というアイドルマスターの楽曲をご存じでしょうか。

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iとはMASTER ARTISTにて収録された765プロの楽曲です。春香から小鳥さんまで当時の全員のCDにソロバージョンが収録され、最後の小鳥さんのCD(FINALE)には全員バージョンも収録されました。MASTER ARTISTは2007年に発売されたCDシリーズなので、もう13年も前の楽曲になります。

ではなぜいま i の話をするのかというと、その歌詞の話をしたいからです。この楽曲のサビではこんな風に歌われています。

みんな楽しく笑顔で舞台に立とう

歌やダンスで自分を伝えよう

言葉だけでは言えない熱い気持ちを

少しだけでも届けられたならば幸せ

 私はこのサビの部分に物凄くアイドルマスターを感じます。アイドルの世界は辛く苦しいことが多いかもしれない。それでも笑顔を絶やさずに舞台に立って、見てくれる人に楽しんでもらえるようにしよう、という熱意が感じられます。普段プロデューサーは「アイドル対プロデューサー」としての感覚が大きいと思うのですが、この曲は「アイドル対ファン」、そして「アイドル対アイドル」の観点において書かれた楽曲だな、と常々思っています。

 

それでは、志保が出した「答え」とはなんだったでしょうか?

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「言葉だけじゃ表現しきれない、大きすぎる想い」

「少しでも伝えたい」

「歌も、踊りも」

 

ここまで i と似通った表現を見ると、まさに自分が思い描いていたアイドルマスターを感じずにはいられません。このシナリオは i から着想を得たものなのかもしれないし、i と似た表現になったのは偶然かもしれません。というかおそらく偶然だと思います。(もっと言うとさっきのかなしほの話も偶然同じ話数になっただけかもしれません。)それでも、ここまで i を感じられるシナリオは自分の心を大きく動かすに値するものでした。

 

また、この結論に志保がたどり着いたというのも非常にうれしいことでした。i にはこんな歌詞もあります。

優しいだけじゃ生き残れない世界でも 思いは一つ

そう「自分に甘く人に親切」

思いやり最重要よ!

志保はこのほとんど反対を行く子だと思っていました。実際、ムビマスでも志保はこのスタンスが取り上げられて憎まれ役のような立ち回りになっていました。そんな志保が周りから助けを受けて、実際に上記の結論にたどり着くというのはとても意味のあることだと思っています。

 

 

おわりに

今回のオペラセリアのコミュは、役では3人の男性からの愛を受け、レッスンやその他の日常ではお姉さんたちからの愛を受け、舞台で観客に「役としての自分(i)」を届けようとする志保が見られたコミュだったと思います。アイマスの世界でのアイドルは、仲間同士思いやりを持って接することで自分たちを高めていくのだなということも再確認できました。ここで書いたこと以外にもたくさん素晴らしいポイントがあるコミュだったと思うので是非振り返ってみてください。ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました。

 

 

THE IDOLM@STER RE@L PRODUCE!!

(この記事は、昨年度に大学祭である駒場祭内の即売会「コミックアカデミー19」において頒布した、会報「To-Dai Vol.22 駒場祭号」の記事を一部抜粋したものです。架空のアイマスコンシューマーゲームが遠い未来に存在したら、をテーマにしたSF風ドキュメンタリーです。是非ご一読ください。)

「ここで、プロデューサーの皆さんに業務連絡があります!それでは、画面にご注目!」
 2xxx年の某日、久々となるアイドルマスターの全コンテンツによる合同ライブ「THE IDOLM@STER M@STER OF IDOL WORLD!!」にて発表されたのは驚くべき内容であった。アイドルマスターが、久し振りにコンシューマーゲーム化を果たしたのだ。それも、あの当時良くも悪くも話題の渦中にあった、超未来型VRゲーム機「The Imaginer」でだ。
 ここで話題に挙げたThe Imaginerに関して補足しよう。The Imaginerは2yyy年に中国のとあるベンチャー企業が開発した超未来型VRゲーム機である。これだけ見ると何が超未来型なのか分からないと思うが、特筆すべきはその仕様である。このゲーム機は、ちょうど小型のCTスキャン機のような見た目をしており、プレイヤーは横になった後にその「輪っか」の部分から出ているコード付きのタップを脳波検査の時と同じ要領で指示に従って装着する。そして、付属のヘッドホンを装着して眠りに就くと…何と仮想空間で現実と全く同じような振る舞いができるようになるのだ。それも、ゲーム中の時間の流れ方は、現実世界のそれとは異なるように設定されているので、長時間プレイして現実が疎かになる心配もない。
 この技術革新が生んだ「未来を超えた」と言ってもよい画期的な仕様が話題を呼び、当時としてはかなり挑戦的な値段設定であったが、発売直後から飛ぶように売れた。この辺りから2000年代初頭からの大手ゲーム企業も続々と参戦し、そうそうたるラインナップのソフトが発売された。
 しかし、現実はそう上手くは行かない。アクションゲームに関しては、バイオハザードのようなサバイバルホラーも含めてかなりの数のタイトルが発表されたが、ゲームのキャラのような超人的な動きをヒトにさせようとするとどうしても無理が生じ、結果としてゲームを中断して現実世界へと戻ると脳の認識がおかしくなる現象が必ずと言っていいほど付きまとってしまった。そのため、大多数のタイトルが開発中止となってしまった。
 RPGはどうだろうか。RPGならアクションゲームと異なりやろうと思えば無理な動きを避けることは十分に可能だ。しかし、RPGには経験値稼ぎなどの「作業」がどうしても付きまとってしまう。単純な「作業」でも身体全身を使わなければならないという仕様は、ユーザーにとっては意外な障壁となり、目に見えない脳の疲労が蓄積して結局積んでしまうという事例が続出してしまった。また、そのようなゲームバランスの調整を乗り越えたゲームであっても、今度はシナリオなどの戦闘要素以外の中身をどれだけ充実させられるかといった問題に直面してしまう。生半可に他のコンシューマ機と同じような勢いでソフトを開発すると、UIの改善等にも時間を取られ結局中身が乏しくなってしまうといった事例が後を絶たなかった。
 以上のような理由から、発売前後は続々と発表されたラインナップも続々と開発中止に追い込まれ、何とか潜り抜けて発売したソフトも投げ売られる事態が後を絶たなかった。比較的高評価を得たゲームも、所謂謎解きゲームやストラテジーゲーム、ギャルゲーなど、かなりジャンルが限られた。
 以上からも明らかな通り、The Imaginerの人気は徐々に下火となり、発売されて一年が経とうとしない頃にはゲーム機自体が中古市場でもかなり出回り、発売されるソフトの数もかなり少なくなってきた。そのような時期に、アイドルマスターの新作ソフトが発表されたのだ。名付けて、「THE IDOLM@STER RE@L PRODUCE!!」だ。
 このソフトは、「誰もがみんなのプロデューサーに!」をコンセプトにしており、実際にゲーム中の世界に入り込んであたかも自分がゲーム中のプロデューサーであるかのような振る舞いをすることができる。この頃のAIはかなり進歩しているので、アイドルとのコミュニケーションが上手く取れずに齟齬が生じたり営業中にいきなり取引先から突拍子もないことを言われたりする心配もない。とにかく法に触れることや公序良俗に反すること以外は何でも自由にやれて、AIがプロデューサーの仕事ぶりをジャッジしてアイドルの人気を決めてくれる。要は、何でもアリとの前情報だ。
 この情報を受けて、アイドルマスターのファンの間ではかなりこの件に関して物議を醸した。単純に新しいゲームで遊べることに対して喜んでいる人も少なからずいる一方で、またアイマスが変なことをやってるよと言っていた人の方が圧倒的多数だったのは言を俟たないだろう。アイドルマスターというのは昔から突拍子もないことを突然やり出すコンテンツであり、その一環としてこのゲームも見られていた事実は否定できない。様々な憶測と困惑が入り交じる中、ゲームは発売された。
 しかし、蓋を開けてみれば意外と売れ行きは好調であった。当時はちょうど中古市場もゲーム機本体が飽和状態と言ってもいいほど出回っていたので比較的安価にThe Imaginerが買えたし、東京ゲームショウでの出展の際の評判もかなり好調であったからだ。更に、上に書いたように、The Imaginerで今まで発売されたソフトの中でもこのような戦略が試されるゲームは比較的評判がいい。そのような理由で買って損はないだろうと手を出したファンが多かったのだ。
 ここで、ゲームの仕様に関して説明する。このゲームには大きく分けて2つのモードがある。「ストーリープロデュースモード」と「レーティングプロデュースモード」だ。前者のストーリープロデュースモードに関しては、一人でプレイする従来のプロデュース方式である。予めストーリーがあって、プレイヤーは作中のプロデューサーとなって様々なイベントをこなしていく。アイマスのキャラクター自体は発売当初まででもかなりの数が存在するため中々一人のキャラクターに焦点を置いたシナリオは難しいが、ユニット毎やシリーズ毎などにフォーカスしたシナリオもダウンロードコンテンツとして遊ぶことができる。
 そして、所謂何でもアリなのが後者の「レーティングプロデュースモード」だ。このモードでは、ユーザーがアイドル事務所のプロデューサーとなり、各人好きなアイドルを各人の自由な方法でプロデュースする。その業績は1年のシーズン毎に最先端の人工知能によって自動で集計され、レーティング計算やプロデューサーランクの元となるスコアが算出される。そのスコアやアイドルの育成結果、営業成績などに応じてアイテムや衣装、ライブ等で使える楽曲も入手することができる。ユーザーがセーブデータを削除しない限りはエンドレスに遊ぶことができ、アイドルもプロデューサーも年を取らない。また、極端に酷い行動に走らない限りはわざと最初からやり直してデータをリセットする必要もないように、しっかりと目に見える形でプロデューサーの頑張りが反映されるような仕組みとなっている。不必要なアクシデントでモチベーションが削がれることがないのも大きな魅力だ。
 ただ、先程から重ねて「何でもアリ」とは言っているが、各人の自由な方法でアイドルをプロデュースするにも絶対に欠かせないスキルが存在する。それは、「コミュニケーション能力」と「マネジメントスキル」だ。公式側も過剰に「何でもアリ」という前情報を押し出しすぎて、奇をてらった方法でアイドルをプロデュースしようとするユーザーが後を絶たなかったが、営業先に断られる以前に企画書を上手く作成できなかったりプレゼンできなかったりしたためそもそも音無小鳥さんや高木社長からもGoサインを貰えなかったユーザーが続出する騒ぎとなった。
 この騒ぎがキッカケとなり、THE IDOLM@STER RE@L PRODUCE!!は大きな炎上の火を浴びることになった。「小中高生のユーザー層に全く配慮していない」「オタクに社会性を求めるのか」「何を考えてコミュ障のオタクがこんなことをできると想定しているのか」などなど……。社会不適合者の多いオタクにこんな芸当を求めるなんてバンナムはバカにもほどがあるとSNSを通して一気に炎上した。事実、発売されてから数週間の間のレーティングランキングでは、元からのソシャゲ廃人などよりも営業職でトップレベルの成績を収めていたりそれに準ずるスキルを持ち合わせていたりするようなバリバリの会社員や公務員のように、明らかに社会的地位の高いと思しきユーザーが多数上位を占めていた。レーティングプロデュースモードではプロデューサーが他のプロデューサーを雇うことができる、所謂プロダクションのようなシステムが存在するが、このシーズンはもう駄目だと判断したら残りの期間をランカーのプロダクションで過ごし、ランカーの指示通りに動いてそれなりに高いスコアを得て1年間のシーズン終わりにアイテムや衣装を貰うだけ貰っては退社するという、通称パラサイト戦法が主流となってしまっていた。
 しかし、この流れは発売から1ヶ月を機に大きく転換する。段々とアイマスのファンたちが今まで奇をてらったプロデュース方法ばかりを試そうとしていたことに気が付き始めたのだ。無難なことからしっかりと企画書を練ってプレゼンをして、営業先のスタッフに頭を下げればちゃんと動いてくれることをようやく理解したのだ。それだけではない。アイマスのファンによって基本的な事務作業やプレゼンテーション、営業先への挨拶の方法に関するダイレクトマーケティングや講習会などが盛んに行われたのだ。後者のプロデュース方法をファン同士で共有するための様々な取り組みは「オタクによるオタクのためのハローワーク」と呼ばれ、時には好意的に、時には嘲笑的にアイマスのファン内外から言及された。
 これを受けて、レーティングランキングの上位の顔ぶれは大きく変化した。元ソシャゲ廃人のようなプレイヤーや元からライブでの楽屋花やフラワースタンド企画を立ち上げたり即売会などを企画したりしていたオタク達が続々と上位に食い込み、そうでなくても普段からプロデュースしているアイドルに関して特別な思い入れを持って接しているプレイヤーは比較的ランキングの上位に位置する傾向にあった。実は、THE IDOLM@STER RE@L PRODUCE!!では、人工知能がプレイヤーの業績を評価する際に、どれだけプロデュースしているアイドルがそのアイドルらしく活躍できているかに応じてボーナス点が加わる。これこそが発売当初にプレイヤー達が次々と奇をてらったプロデュースを行った元凶でもあるのだが、しっかりと企画書などを練ったり、プロデュースを重ねて営業先から信頼を勝ち取ったりした上でよりプロデュースしているアイドルがその人らしく振る舞えるようなお仕事を手に入れることができれば、少し王道から外れたようなプロデュースを行っても何の問題もなかったのだ。このような経緯があり、THE IDOL M@STER RE@L PRODUCE!!は、サービス終了に至るまで様々な思い入れを持ったプレイヤーたちが思い思いのプロデュースを行ってアイドルを育てていく、アイマスのファンにとって大切な場所となったのである。

(この物語はフィクションです。実在する人物・団体とは一切関係はありません。)

Wandering Dream Chaser(黛冬優子Ver.)のダイマ

こんにちは。カラスムギです。今回は真面目な記事です。
スプパの中止は残念でしたが、物販のソロコレは私の心に強い波紋を残してくれました。

それが、Wandering Dream Chaser(以下「WDC」)の冬優子ソロVer.です。

まだ入手できていない方は、是非聞いてから読んでくださいね。

(※当記事には私自身の解釈も含まれることをご承知おきください。)

 

泣いた……


初めてWDC冬優子ソロを聴いた時、私は涙があふれてとまりませんでした。
オタクの「泣いた」は泣いていないなどと言う逆張りもいますが、シャニマスに関して光のオタクである私には当てはまりません。
むしろこうして記事にしていること自体、私が受けた衝撃の大きさを表していると言えるでしょう。
それでは、どうぞ新鮮なオタクの感情をご賞味ください。

 

WDC


私がWDC冬優子ソロに受けた印象を語るためには、まずWDCが彼女にとってどのようなシチュエーションで現れたかを述べるべきでしょう。
 
まず、WINGを経て冬優子が出した結論は、「『これがふゆ』って、胸を張れるアイドル」*1でした。
初め、自分の素をアイドルとは正反対と自虐し、ちやほやされるために「ふゆ」としてやってきたアイドル活動。
しかし、アイドル活動に夢中になった彼女は他人から以上に自分から認められたいと思い、この結論を出したのでした。
それは彼女の生き方において大きな前進だったでしょう。
しかし、彼女にとってのアイドル活動は大変険しいものとなりました。
その大きな原因が、芹沢あさひとのユニット活動です。
 
「ふゆ」として生きることそれ自体を否定し、アイドルとしても冬優子の前に立ちはだかるあさひは、彼女の最大の壁となりました。
最終的には「ふゆ」としてのやり方の正しさを提示することができたものの、WDCレコーディング時点ではそこには至っていないと考えられます。
そんな事情から私は、WDCをアイドルとして冬優子が壁にぶつかった状況を象徴する曲としてとらえます。
 

冬優子から見たWDC


冬優子がWDCを最初に歌った時、彼女が追い詰められていたことは分かりました。
しかし、彼女はWDCにどのような印象を抱いたのでしょうか。
曲調は激しく息切れしそう。歌われる闇を駆ける閃光は、「ふゆ」よりも素の冬優子そのもののようです。
アイドルとしては「ふゆ」であらねばならないのに、話が違うと思ったかもしれません。
 
しかし、ここで投げ出さなかったところをみると、「『これがふゆ』って、胸を張れるアイドル」の実現のためには立ち向かうべきだと思ったのでしょう。
「隠そうとしても隠しきれるもんじゃない」*2ものにこだわるのではなく、Pが強みだと保証する部分*3で勝負しようと考えたのかもしれません。

そんな壁にぶつかって、WDCはまさしく勝負の場でした。
さて、そこで彼女が絞り出した歌声は、どのようなものだったのでしょうか。
 

優子の“答え”


ようやく本題に入れます。冬優子の提示した“答え”はWDCのソロ音源に詰まっています。
その力強さは本気も本気。アイドルとしての芯が一本通っています。
もちろん、彼女にとっての「本気」とはただ歌や踊りに力をこめるものではありません。
三つ目の“Visual”こそが彼女にとっての最大の武器です。
“Vocal” “Dance” “Visual”全てに心を尽くし、「カッコよくも可愛いふゆ」としてパフォーマンスしています。
それが「ふゆ」というキャラクターとは相性の悪い曲だとしても、演じきるのです。
これが、彼女の意地であり覚悟なのでしょう。
しかし「冬優子」を知る私は薄皮一枚向こうに、ギラギラした目の彼女が猛っているのも感じます。
「隠しきれるもんじゃない」
その通りかもしれません。
しかし彼女が「諦めない」のは、今や隠すことではなくアイドルとして昇ることです。
そんな決意がひしひしと伝わってきます。
 
そして、極めつけは落ちサビラストでしょう。
余裕を全て食いつぶした彼女の中の獣が、血反吐とともにひときわ大きな輝きを見せます。
ここだけは、彼女も「ふゆ」でいる余力がありません。
きっと、すごい顔をしているのでしょう。
しかし、誰が彼女を笑えるでしょう。
むしろ、彼女の意志の強さに周囲は我を忘れるのでしょう。
「『これがふゆ』って、胸を張れるアイドル」
これが彼女の“答え”なのだと。

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終わりに


少しポエムになりすぎましたが、これが今の私の所感です。
WDCの歌詞は、身を削りながら自分の決めた生き方を目指す冬優子のことを歌っているように思えてなりません。

*1:「諦めたくないものはひとつだけ」より

*2:「諦めたくないものはひとつだけ」より

*3:例えばPは「台本通りの茶番劇」「まっすぐに気持ちをぶつける姿勢とその目」が冬優子の魅力だと言っている。

なぜシャニマスのイラストは「絵画」と言われるのか

はじめまして、イカと申します。

 

今回の記事ではインターネット上でたびたび見かける「シャニマスのイラストは絵画だ」という感想について、学部レベルではありますが絵画や彫刻といった美術を学ぶ1人の学生として考えてみたことを書いていきたいと思います。

 

「絵画」と「イラスト」

そもそも「絵画」と「イラスト」の違いはいったいどこにあるのでしょうか。

言葉の意味からすると大まかに言って絵画(painting)=油絵、イラスト(illustration)=挿絵といった形で区別することが出来るかもしれません。しかし、「シャニマスのイラストは絵画だ」と言った場合にはイラスト=アニメ絵、絵画=いわゆる西洋絵画という区別で使われているように感じます。本記事ではざっくりとそのような認識で話を進めていきたいと思います。

 

なぜ「絵画」と言われるのか

 

もう結論から言ってしまいますと、奥行きの使い方が違うから だと私は考えました。

絵の奥行きは遠近法(perspective)によって表現されます。

 

遠近法とは平面に描かれたものを立体的に見えるようにするための工夫のことです。代表的なものに線遠近法(近くのものは大きく、遠くのものは小さく描く)や空気遠近法(近くのものははっきり、遠くのものはぼんやり描く)があります。

 

この遠近法によって一般的に私たちが思い浮かぶようないわゆる西洋絵画は画面が前景・中景・後景に分かれ、主に中景にその絵の主役が描かれます。

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例えばこのドラクロワの有名な作品『民衆を導く自由』では、前景に攻撃を受け横たわる人、中景にフランス国旗を掲げる女性(=自由の擬人像)、後景にそれに続く人々が描かれています。

簡単に言うと手前・真ん中・奥という3次元空間にそれぞれ人がいて主役は真ん中に居るように見えるということです。

 

これを踏まえて次の2つのイラストを見比べてみましょう。

【天然色ピクニック】櫻木真乃

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【音、雨、パシャ、リ】櫻木真乃

 

1枚目は前景に真乃と灯織、後景(=背景)に公園+ピーちゃんが描かれています。

2枚目は前景に花と地面、中景に真乃と灯織、後景に花畑が描かれています。

 

ぱっと見た時、みなさんにはどちらが「絵画っぽい」と思われるでしょうか。

 

後者と答えた方が多いと思います。そうでなかったらこの記事はここで終わりですが

2つのイラストの大きな違いを確認すると、1枚目は中景が無くなっているのに対し、2枚目では前景・中景・後景の3つに分かれていることが分かります。

 

別のイラストも確認してみましょう。 

【ハロー、私の「いつも通り」】三峰結華

【メロウビート・スローダウン】三峰結華

 

1枚目は前景にアンティーカの5人、後景(=背景)に建物が描かれています。

2枚目は前景にジュース、中景に結華・摩美々・霧子の3人、後景に建物が描かれています。

 

もう私の言いたいことが読めてしまってますかね。

中景を排除した1枚目より3景描いている2枚目の方がより「絵画」っぽく感じるのではないでしょうか。

 

「イラスト」の伝統・文脈

他のアイドルマスター作品のイラストやシャニマスのイラストを見返してみてください。すると多くの絵が中景を排した形式になっていますが、これはどうしてでしょうか。

様々な研究がありますが、アニメのイラストは浮世絵の流れを汲んでいると言われています。

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左:鈴木春信 笠森お仙

右:喜多川歌麿 婦女人相十品 ビードロを吹く娘

 

江戸時代に発展した美人画は対象に大きくクローズアップした画面で女性の姿形だけでなくその内面をも描き出そうとしました。

このような日本の伝統の中にアニメのイラストがあるため、私たちが普段目にするイラストも中景を排した形式で描かれていることが多いのです。

 

つまりこれが私たちの「イラスト」観の土台にあるのではないでしょうか。

 

まとめ

 シャニマスのイラストがなぜ「絵画」と言われるのかという問いについて考えてきました。

結論としては、日本の浮世絵の文脈にあるような、対象にクローズアップし中景を排して描かれたものが「イラスト」だという認識が根本にあるため、西洋絵画の形式に則って前景・中景・後景に画面を分けて描かれたイラストに対し「絵画のようだ」という感想を抱くのだと考えました。

 

みなさんの感覚に合致するでしょうか。していたら幸いです。

 

ここでは「絵画」が優で、「イラスト」が劣だと言っているわけではありません。江戸時代から日本人は西洋の遠近法や油絵の技法を取り込んでいきましたが、それと同時に西洋人も浮世絵の斬新な構図を取り込んでいきました。(詳しくはジャポニスムについての研究書などをお読みください)それぞれの良さがあると思います。

 

今回の記事では触れられませんでしたが、個人的にはシャイニーカラーズと題するだけあって光の使い方に何かこだわりがあるのではないかと予想していますが、どうなんでしょうか高山さん。

 

お見苦しい文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。

夢見りあむという人物の描き方の見事さについて

【注意】この記事はモバマスの今回の月末限定SRである、[ぶちあがれ感情]夢見りあむのセリフや思い出エピソードのネタバレを多分に含んでいます。未視聴の方はご注意ください。

こんにちは。夢見りあむの話を沢山します。

今回の月末ガチャにりあむが来たのでこれは引くしかないと思い課金をしたところ、幸いにも自引きすることができたのでセリフと思い出エピソードを全て観ましたが、これがしてやられたというか……改めてりあむはある意味でストイックで、そして別の意味ではとても暖かみのある人間だな……とつぐつぐ実感させられました。

かなり抽象的な書き方になりましたが、この感想だけでは筋が通らない話でしょう。ぷちエピソードや初期のセリフからも分かる通り、りあむはお世辞にもストイックと言えないどころかクソザコメンタルそのものです。すぐにレッスンで弱音を吐き、専門を中退したという話も本人の口から出ています。また、少しトゲというか……独特のノリがある口調も、暖かいという概念からはやや逸脱しているように映ります。……少し言葉を補いましょう。りあむは「アイドルオタク」としてストイックで、「真剣なアイドル」に対してとても優しい人間ではないか。私はこう考えるのです。

一体これはどういうことでしょうか。以下で述懐していきます。

1. 尊いアイドルと自己との乖離

夢見りあむのセリフに関しては、下記のサイトが詳しいです。

seesaawiki.jp

実際にセリフを見ていきましょう。比較的登場初期に当たるモバマスデレステの初期カード、並びにぷちセリフやぷちエピソードを見てみると、弱音を吐いたり、「チヤホヤされて、いつのまにかトップアイドルとかがいい!」「ワンチャン欲しくてアイドルになって何が悪い!?」などと言ったり、あたかも現実を楽観視していたかのようなセリフが目立ちます。一方、「世の尊いアイドルたちは、たゆまぬ努力をしてる!」「あのきらめきは努力の果てに見えるもの……」と発言しているように、真剣に活動しているアイドルのことを尊重している様子も伺えます。

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このことが最も特徴的に描かれているのが、初のSSRである[夢見りあむは救われたい]夢見りあむです。彼女はこのカードでいきなり大舞台に立つことになったのですが、特訓前の親愛度セリフをそのまま全て引用で抜粋します。

アイドルはダメじゃいけないしダメなやつはアイドルじゃない! それは他の何百人ものアイドルが証明してるじゃん! ぼくのダメさはこの人生じゃもう直らないからやむんだよう…!

 

ぼくだってぼくに期待できないからこんなダメダメなんだよ~。 初めはアイドルになったらがんばれると思ってたよ……。 お返ししたいと思ってた。それくらいの気持ちはあったんだよ。

 

でも違うんだ。アイドルになってわかった。何もできないって。 がんばって、もしダメだったら……ぼくはアイドル失格じゃん! 尊いのがアイドルなのにぼくは尊くない。アイドルじゃない。

 

アイドルでいられないのに、大きなステージにあげられちゃう。 そこでどうやって笑えばいいのかな!?怖いよ! アイドルのフリなんてできないよ!ザコメンタルは嘘つけない!

 この通り、当初は「ワンチャン欲しい」「チヤホヤされて、いつのまにかトップアイドルとかがいい」と言っていたりあむも、大舞台に立つことになり段々と現実に直面するにつれて「アイドルは尊いものでなくてはいけない」という自分自身の気持ちを裏切ることができなくなりました。アイドルは尊く努力たゆまぬものでなくてはいけないのに、自分はそうではないのです。シンデレラガールズには、並々ならぬ努力で自分自身の夢に向かっているアイドルがたくさんいます。両親の反対を押し切ってまで上京して、人一倍の努力を重ねている工藤忍や、下積み時代を重ねてアルバイトをして、ずっとウサミン星のプリンセスに憧れ続けた安部菜々さんを見ていると、こっちまで胸が苦しくなることが多々あります。皆がみんな何一つ文句も言わずに努力している中で、彼女は罪悪感と途方も無い無力感に苛まれて苦しんでいるのです。

2. 一歩踏み出したアイドルの原石

さて、大舞台に立つことになったりあむは特訓後にはどうなったでしょうか。特訓後のプロフィールコメントを見てみましょう。

調子のってるって炎上しても、エンジョイしてやる!アイドルにならなきゃって思い込んでたのはぼくだった!もう怖いものなんかないぞ!オタク!全員かかってこい!

 彼女は「アイドル」になることをやめて、素の自分でステージに立つことを選びました。逃げるのではなく、最善を尽くすことを選んだのです。悪く言えばこの状況はある種自暴自棄にも見えますが、私はそうは考えません。次のセリフを見てください。

ホントはもっと地道に着々と人気出ていって手応えとかあって そのうちブレイクしてくりあむちゃんのアイドル活動だったのに いきなり大舞台に立たされるのおかしすぎ!笑うしかない!

 

ぼくはアイドルじゃない!って会場のみんなに言ったとき、 みんな一瞬「は?」みたいな顔してて超ウケた! そりゃそうだよね。りあむちゃんどうかしちゃった?みたいな。

 

でも、ぼく間違ったこと言ってなくない? みんながぼくをオモチャにして楽しむんだったら、 ぼくもぼくが楽しむためにぼくの時間を使うだけだし!

 

彼女はステージに立たざるを得ないこの状況に対して、まだ自分が思い描く「アイドル」の境地に至っていないから自分のしたいことをするまでときっちり一線を画しているだけではないでしょうか。彼女はアイドルになりたいという夢を否定している訳でも、自暴自棄になってステージを台無しにしようとしている訳でもありません。実際に、以下のような発言も行っています。

夢は夢でおわれないけど夢のまんまにしといた方がいいことも…ある!

ステージ上のぼくは永遠にぼくのままでいるつもりだけど、 会場のみんなの心の中で、今日の思い出のぼくがいて…… それが、アイドルにみえてたら……いいなあ。

 彼女は、あくまでも自分が理想とするアイドルに今はなるつもりはないけれど、他人が志しているアイドルに自分がなれていたら嬉しいと言っているのです。自分がステージ上で一人の演者として適切に振る舞えられている自信があるからこそ、このように発言してくれたのだと私は信じています。

4. 推しの卒業から垣間見えるりあむのアイドル観

場面は今回のモバマスの月末ガチャの限定SRである[ぶちあがれ感情]夢見りあむの思い出エピソードに移ります。りあむは推しのアイドルが卒業することを知り、卒業公演へと赴きます。その終演後の場面が以下になります。

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私は初めて見た時、デレステSSRで自分はアイドルになれないと自責の念に駆られていた彼女の姿が真っ先に思い浮かびました。彼女自身もこの仕事を通して挫折や無力感を味わったからこそ、卒業する推しに対して優しい言葉を投げ掛けることができたのではないでしょうか。夢を夢のままにすることを選んだ彼女だから、アイドルだって全ての夢を叶えられる訳ではないことを理解しているのです。シンデレラガールズというコンテンツに接していると、あたかもアイドルが自分の夢や願いを全て解決してしまうように見えてしまいますが、その裏では叶えられなかったお仕事や目標だって必ずある筈です。他のアイドルだってみな超人な訳ではありません。その見えにくい事実に対して、りあむは誠実に向き合っているのです。

5. 見る目のないオタクに対する不満

話を少し変えましょう。特に初期の頃のりあむのセリフには、以下のように他のオタクに対する苛立ちを見せることが多々あります。

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第1項でも書いたように、初期のりあむにはラクをしてトップに成り上がりたいという感想を漏らすことがしばしばありましたが、このように価値観が相容れない他のオタクに日頃から鬱憤を感じていた面もあり、浅はかなオタクから搾取してやろうという魂胆も多少あったのではないかと私は考えています。以下のシンデレラガールズ劇場のコマは有名ですが、このような一面も相まってこんなへったくれもないピラミッドを脳内で描いているのではないかと個人的には思います。

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そして、[ぶちあがれ感情]夢見りあむの特訓後に話を移します。彼女は、特訓後のアイドルコメントや親愛度MAX演出でこのように発言しています。

うりゃおい!うりゃおい!ぶちあがれ!オタクの愛をぶちまけろー!!そんなもんじゃ、届かないぞ!体の水分、全部蒸発させろ!じゃないとりあむちゃん最推しとは言わせない!よ!!

推しがずっといるとは限らない!アイドルは儚いものだから!ならば推そう!悔いなきように!オタクのサイゼン今こそ尽くせー!

 推しの卒業を経験したりあむは、観客のオタクに対して思いっ切り体当たりでレスポンスを行っています。最後まで推しにとって真摯な一人のオタクであったからこそ、自分のオタクにも必死にそれを求めているのです。今までこの記事ではりあむが真剣なアイドルの味方である面をクローズアップしていきましたが、これは自分のオタクに対しても同様ではないでしょうか。ラクしてチヤホヤされたいという楽観的な気持ちは、今は真剣にオタクに向き合う心意義へと変わったのです。りあむはアイドルのオタクであるからこそ、それだけ親身にファンへ寄り添える強みを持っているのだと私は考えます。りあむは、アイドルに対して真剣な誰に対しても味方なのです。

6. 終わりに

ここまで読んでいただきありがとうございました。シンデレラガールズには多くのアイドルがいます。モバマスデレステのカードや劇場を並べてみると、登場頻度やレアリティの差こそあれ皆がみんなやりたいことを叶えているように錯覚してしまいますが、その裏には何かを諦め、他のアイドルを羨んだり嫉妬したりしているアイドルの姿であるのではないかと時々考えることがあります。もしそうだとしたら、そのようなアイドルに対して寄り添えることができるのは、他ならぬりあむではないか。私はそう考えるのです。こんな優しいことを推しに対して言える彼女だから、きっと。いや、問題の大小こそあれ、誰だって他の子を少し羨んだりするくらいしてしまう筈です。私は菜々ちゃんみたいに努力できないとか、誰ちゃんみたいに可愛くなれないとか……そんなことの一つや二つ、きっとあります。そんなときに、りあむはきっと助けになれると私は強く信じています。挫折から立ち直った彼女なら、きっとやれる……と。

(Text by しげる)

伊吹翼の靴下がそそるという話 ~初級編~

初めまして。カラスムギと申します。

 

今日はタイトルにある通り伊吹翼の靴下がそそるという話をします。とは言っても急にそんなことを主張しても同意を得るのは難しいでしょう。ですので今回は初級編と銘打ち、私が翼の靴下のとりことなった最初のきっかけについてお話しようと思います。そのために話題を靴下の中でも私服に限定します。

 

翼の私服センス

まず、翼の私服はダサいです*1

 

いきなりこのようなことを言うと怒られてしまうでしょうか。ですが、翼の私服は他の同年代のアイドルと比べてもダサいです。それは初期衣装のTシャツを見ただけでも明らかでしょう。これを見てください。

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大きく「Tropical」という文字が主張するプリントTシャツはとてもお洒落とは言えません。リストバンドやスカートも変にカラフルで、ファッション誌に載っているようなコーディネートとは似ても似つきません。

 

他にも、ポケットと折り返しに模様の付いたホットパンツや大きな星マークが柄になっているパーカーなど、幼さが目につきます。

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そして、靴下においてもそのダサさは健在です。派手な色と柄が他のアイテムとかみ合っていないのです。

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初めはそんな翼の私服を見て、運営はもっとお洒落な服を着せてあげればいいのにと思っていました。翼にはガーリー、ボーイッシュ、セクシーと様々な魅力があり、幅広い服が似合うからです。実際、お洒落な服に身を包んだカードは他のアイドルには多く見受けられます。

 

どうして運営は、可愛らしい私服や格好いい私服でキメる翼で私たちを骨抜きにしようとしないのか。そう疑問にすら思っていました。

 

しかし、今では翼の私服のダサさに夢中になっています。ある気づきが、そのきっかけとなったのです。

 

ダサさの中のよさみ

その気づきとは、ダサい私服が生み出す強いリアリティです。

 

女子中学生とは、大人と子供の過渡期にあります。そんな女子中学生の私服のセンスには大きな個人差があることでしょう。ファッションに興味のある翼がダサいのには少々疑問がありますが、柄物一点の可愛さに気を取られて全体のバランスがおろそかになるのは初心者にありがちと言えます。

 

そのような実在性が、翼と言う存在をこの世に浮かび上がらせているのです。特に、服というものは視覚的に情報を伝えます。したがって、文章よりも受け取る印象は強いのです。

 

そして私服の中でも特に靴下が重要になる理由に、「お下がり」という要素が関わります。

 

翼には兄と姉が一人ずついます。それならば、お下がりの服を着る機会も当然あるでしょう。上述したダサいパーカーやホットパンツは、お下がりである可能性も高いのです。つまり、それらのアイテムは翼の趣味ではないかもしれないということです。

 

困りました。これでは私服から翼を深く語ることはできませんね。それらを翼が身に着けているのは確かですが、お下がりならば翼の内面を探る上ではあまり有効とは言えません。

 

そこで重要になるのが、靴下なのです。靴下でしたら、肌着であるためにお下がりである可能性は極めて低いです。つまり、翼の個性を紐解くこの上ない材料になります。もちろん、選んだのが翼本人なのか親なのかは分かりません。しかし、翼だけのために選ばれたということは保証されます。

 

翼の私服の靴下を見ることによって「ふむふむ、これが翼の私服センスなのか。なるほどね」と、翼という女の子だけのことを考えることができるのです。なんと素晴らしいんでしょう。

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私服の靴下のこういった特異性に気づいたことをきっかけとして、私は翼の靴下を意識するようになったのです。

 

おわりに

以上が、私が翼の靴下のとりことなった最初のきっかけです。いかがでしたでしょうか。

 

翼の靴下は本当に魅力的なので全世界にお伝えしたいですね……。今回はほんの序の口。気が向いたら続編記事を書きたいです。

 

それでは失礼します。翼の足の小指と薬指の間に挟まる毛玉になりたいカラスムギがお届けしました。

 

(Text by カラスムギ)

*1:ミリシタの私服は全体的にお洒落で、もしかしたら今回の話題はグリマスに制限されるかもしれません